令和元年10月7日(大安)雑感

新聞の番組欄で目にすると、必ず見るのは「やまと尼寺精進日記」である。

代々曹洞宗の私は、永平寺や總持寺が紹介される番組も見逃さずに見ているが、

大抵が座禅、托鉢、長い廊下の雑巾がけなど、僧侶が修行に励む凛とした姿である。

檀家に和尚が説く「まっすぐに立てた一本の線香から立ち上る真っ直ぐな一条の煙」の精神場面の連続である。

その点、音羽山観音寺では、住職、副住職、お手伝いの3人が穏やかな尼寺の一日を肩の凝らないシチュエーションで紹介している。

前職を定年退職し、特別養護老人ホームの施設長に就いたこの身に比すると、曹洞宗の修行が前職で、介護施設の日々が尼寺日記とさえ思えるのである。

仏道に身をささげる清楚な平穏さが、命に余裕を感じさせてくれるのかもしれない。

施設も、こうでありたいと思うのだが、それも私の心がけ一つか。

「終の棲家」をお年寄りに提供する最善の日常を求め続ける日々である。